22歳、発達障害者。

発達障害者の日々のつぶやき。

卒業を喜べない。

皆さんこんばんは🌇

今日卒業判定が出て、無事に卒業が決まりました!

でもどうしても喜べないんです。

入学してすぐの頃から大学が嫌いでした。

行きたい大学じゃなかったし、授業はつまらないし、友達はできないし、親は相変わらず厳しすぎるし。

最初は受験や再入学、編入のことばかり考えてたけど、生活するのに精一杯でした。

特待生を継続するためには勉強しなければいけなかったし、大学生活に関わる費用は全て自腹だからバイトバイトで、家に帰ったら全く手付かずの家族分の家事をしなければいけませんでした。その中で目標に向かって頑張る余裕なんて全くありませんでした。

一人暮らしも何度も考えましたが、通帳も身分証明書も親に管理されていたので部屋さえ借りれませんでした。

大学不適応感は収まるどころか、学年が上がるに従って高まるばかりでした。2年ぐらいまでは何とかいい子の仮面をかぶって耐えていたのですが、自分では精一杯やったつもりなのに思うような成績がもらえず3年の時に特待生を逃してしまいました。自分は文学部でレポート課題や記述式のテストも多く、自分ではちゃんと書いたつもりなのに思うような成績がもらえないということがよくあります。中には必修科目で信じられないぐらい採点が厳しい先生もいますし、採点基準がイマイチわからないので対策しづらいです。周りでも自分ではちゃんとやったつもりなのに単位を落としてしまった子がいて何で?って言いながら再履修していました。

また大学の中で一番仲良くしてくれていた子が心の病で休学してしまったり、応援してくれていた先生が亡くなったり辛いことがたくさん続きました。

さらに卒論の執筆で行き詰まってしまったり、特待生を逃したことでバイトを増やさなきゃいけなくなったり、苦手なのに他にいないからって新人教育もやらされていました。その中で卒業後のことも徐々に考えなきゃいけなくなって、発達障害者が就職することの難しさに直面しました。

気づいたら私は死ぬことばかり考えていました。勉強は全く手につかず、教えた新人バイトには全員すぐにやめられて、将来の希望も持てなくなりました。毎晩泣きながら亡くなった先生の後を追うことばかり考えていました。そんな落ちぶれた私に親は怒るばかりで、私は心を無くしました。感情がなくなってしまったのです。

ゼミの先生が助けてくれて、親を説得してくれて精神科に行けるようになってからは少し休めるようになりました。学校も無理に行かなくていいと言ってもらえるようになったし、就職だって障害枠でいいって言われました。バイトは続けて欲しいと言われましたが。

大学4年になってからは自分のペースで大学に行き、思い切ってバイトも変えました。就職も無事に内定をいただき、精神科の薬を手放せたので運転免許も取りました。自分と同じように逃げたくても逃げられない人を助けるために介護の資格も取りました。長く働くために就職先に障害をカミングアウトして、障害枠で働くことにしました。

私はまだここまで回復できただけラッキーだと思います。それでも大学にさえ行かなければここまで苦しむことにはならなかったと思ってしまいます。

楽しい思い出もなければ得たものもありません。

得たのは苦しい思い出と二次障害だけです。

こんなはずじゃなかった…。

二次障害だって再発のことを考えたら怖い。

今でも小中学校時代のいじめがフラッシュバックするのだから、きっと大学時代の地獄の日々もトラウマとして未来の私を苦しめるのだろう。

ほんと生き地獄とは、このこと。

それでもR大学卒業というのは、今後の人生ずっとつきまとうんだから卒業したことにはたぶん意味があるんだろう。一応親も喜んでいたし、まあ社会的に喜ばしいことであるのは間違いない。

ただ私が喜べない、それだけ。

4年も無駄な時間とお金を費やしてしまって、すごく後悔している。もっと楽しいことをしたかったな。

明日は派遣のバイトの登録会に行きます。

卒業式も卒業旅行も行かないし、暇を持て余すぐらいなら働いた方がいいかと。

ではまた✋