22歳、発達障害者。

発達障害者の日々のつぶやき。

私も児童相談所に相談していた。

皆さんこんにちは😃

連日ニュースで虐待死した子どもに対する児童相談所の対応が報道されています。

私も児童相談所に相談していました。

亡くなった少女と同じ10歳頃です。

私は怒られる時にナイフで殺されそうになりました。

マンションのベランダから突き落とされそうになりました。

家の外に締め出されて家にいれてもらえませんでした。

真冬に裸で風呂場に閉じ込められました。

病気になっても病院に連れて行ってもらえませんでした。

食事を出してもらえませんでした。

洗濯もしてもらえず同じ服ばかり着ていました。

さらに言葉の暴力を受けていました。

死んでも悲しくない、あなたなんかいらない。

生みたくなかった。生まなきゃ良かった。

それらを包み隠さず学校に、教育委員会に、児童相談所に打ち明けました。それでも誰一人として私を助けてくれませんでした。

親は証拠がない、この子は病気だからすぐに嘘をつくと言っていました。

また、私には目に見えるあざや傷もありませんでした。

当時ケータイを持ってなかったので、録画や録音もありません。

証人もいませんでした。

保護してくれる祖父母や親戚もいませんでした。

親には、この家から出ることは一生許さない。

もし逃げようとしたら必ず連れ戻して一生家から出れなくしてやると言われました。それから私は外で家の話をしなくなりました。母親は外ではありえないくらい良い母親を演じていたので、全部私の嘘ということになりました。

いじめのことも同じです。いじめのアンケートに何度もいじめられていることを書いたし、担任だけでなく保健室の先生やカウンセラー、校長先生や教頭先生、教育委員会まで相談した。死にたいことも伝えた。

それでもいじめられる方が悪いとか、嘘をついていると言われていました。

たしかに私には虚言癖がありました。

だけどそんな嘘はつくわけないです。

他の子どもでもそんな嘘はつかないと思います。

私は本当に逃げたい、逃げられないなら死ぬ方がマシと思っていました。事実私は小5小6の時に自殺未遂をしています。それでも同情を引こうとしていて気持ち悪いと言われましたが。

あの時もし死んでいたら、私は世間でどう言われていただろう。虐待といじめを苦にした自殺。これだけ相談していたのになぜ助けられなかったのか、みんな責めてくれるだろうか。私が生きているせいでみんな何事もなかったかのように生きている。

私は未だにトラウマによるPTSDに苦しんでいる。

親や学校には恨みしかない。

復讐したい。

私の時計は止まったまま。

どんなに前を向こうとしても進めない。

進ませてくれない。